2018年7月30日
中土井 僚「日々是内省」
仕事柄、ほぼ毎日のようにどなたかのお悩み相談や問題解決のための支援をさせていただいておりますが、根深い悩みや継続している問題を抱えていらっしゃる人の共通点があるように感じています。
それは
「誰かや何かを許していない」
ということです。
許していない対象は、特定の誰かに向かっていることもあれば、身の上の不遇さも含めた環境や状況であることもあります。
はたまた、そういう不満足な状況にある自分、至らない自分、欠けている自分を許せておらず、そのことに自分自身気づいていないという人も数多くいます。
自分が何かしら満たされていない気持ちになっている時、「自分は何を許せていないのだろう」と矢印を自分の心の内側に向け、深く自分を見つめてみると、許せていないことが何なのかが見えてくることがあります。
しかも、それは地層のように何層にもわたって積み重なっていることもあり、地表となっている「自分が現時点で遭遇している問題症状」に直接関係している人や物事を許せていないだけでなく、その地層の奥底には、長年許せていなかった誰かや何かが潜んでいたりすることは珍しくありません。
そうした自分自身すらも気づいていなかった「許せていないこと」を許していくこと自体が、その人の人生がその人に課している「人生の宿題」のようにも思えてしまいます。
特に、人によっては自分が同じような立場なら、同じように許したくても、到底許せないだろうと思えるような経験をなさっている人も当然います。
そうした人生に立ち会わせていただくたびに、「許せないことがあればあるほど、悩みが深くなりやすい」という人生の宿題は、私たちに一体何を問うているのかを改めて考えたくなってしまいます。
「許すこと」と「我慢すること」は当然違うのですが、そもそも「許せること」と「許せないこと」の境界線はどこにあるのでしょうか?
そして、何があれば「許し難きこと」を「許せる」ようになるのでしょうか。
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