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「ティール神話」と「反ティール」に対する違和感

2019年9月23日​ 中土井 僚「日々是内省」


先日、#ティールジャーニーキャンパス に参加させていただきました。


予定があって、ラルーさんも参加される夜のセッションに参加できなくて残念だったのですが、ものすご〜く得られるものが多くて大満足でした。


(なんか、夜のセッションでは、途中U理論の人として私の名前が呼ばれたという話も後で伺い、かえすがえす残念・・・)


ETICの宮城さんと、ダイヤモンドメディアの武ちゃんこと、武井 浩三さんと、立ち話でご一緒させていただき、ティール以上のターコイズ、インディゴレベルの経営について対話をさせてもらい、めっちゃ、それが深くて楽しかったです。


今回、何より感じたのは、ティール組織について、ほとんどの人がそれぞれのイメージで捉えていて、「なんとなく次世代型の良い感じの組織形態」という認識しかなさそうということです。


分科会でカヤックの柳澤 大輔さんが、「ティール組織の本を読み切った人はどのくらいいますか?」という投げかけをされていましたが、100人くらい集まっている中で、10人もいなかったと思います。


おそらくなんですが、雰囲気から察するに、ティール組織を支持していたり、ポジティブなイメージを持っている人は以下のようなざっくりなイメージを持っているように思います。


①みんなが自発的にイキイキ働いている


②階層型のような従属させるような組織ではなく、縛られないような自由がある


③多様性が尊重されて、自分らしくいられる


④自律分散型で、なんとなく「今風」


特に、「束縛ではなく自由」みたいなのが、従来の階層型組織や年功序列のアンチテーゼのように捉えられていて、それが妙な「ティール神話」を作っているように思います。


そして、ほとんどがそういう論調の人は「グリーン」的発想からティールを見ているように思います。


そういう、グリーン的な地に足がついていないうわっついた空気にみえてしまうからなのか、「ティールだけが答えじゃねえじゃん」といった論調もそこかしこで耳にするのですが、それも何かずれているように思います。


それは、「成果を出すのが是」というオレンジやアンバー的パラダイムの中で「反ティール」を掲げているので、そういう話になるのだと思います。


「成果を出すのに何がふさわしい組織モデルなのか?」という論点自体がかなりずれているように私には感じられています。


どの組織モデルがふさわしいのかは、その置かれている環境や状況に依存します。


震災が起きた直後の緊急事態のような状態は、おそらくアンバーのような軍隊的な組織の方が機能するでしょう。


V字回復が必要な瀕死の状態にある企業においては、オレンジの合理性とアンバーのような上意下達的な指示命令も必要になるかと思います。


大事なポイントは、どの組織形態も副作用と限界を持つということです。


それは、ティールにおいてさえもです。


アンバーの組織を長く続けると、社員は「言われたことしかできない」人になりやすくなります。


オレンジの組織を長く続けると、合目的的なもの以外を全て排除するため、優先順位が下げれられた「外在化」した問題は吹き溜まり続け、それが溜まりにたまって社会問題化します。社内では人が部品のように扱われた結果、メンタルヘルスやモチベーションダウンの問題を慢性的に抱えることになります。


グリーンの組織は家族主義的で居心地はよく、人間らしく働けますが、議論が延々と続いていましまい、結局、創業家や役員クラスの方で意思決定を下すことになるので、創業家や役員クラスと社員の間で緩やかな階層が生まれてしまいます。


結局のところ、ティール組織が地球上で「出現」しているのは、兎にも角にも、オレンジまでの世界観が垂れ流し続けてきた外在化した問題によって、企業が自らの首を締めている状態にまできているからこそ生まれてきている組織形態であるだけに過ぎないのです。


それは、会社で働くひとりひとりを幸せにしないということだけではなく、環境問題を始め、さまざまな待った無しの状態にさせている社会問題によって、組織運営自体に突きつけられているものがあるということです。


「頭」で考えた答えに向かって、合目的的に結論を出すだけでなく、人間としての感性も持ち込んで「なんか、おかしくね?」ということがちゃんと拾えて、それを組織運営として活かせるようになるからこそ、全体性と調和のとれた動きが取れる。それがティール組織の姿なのだと思います。


なので、「ティール組織が是か非か」という議論ではなく、「ティール組織が地球上で生まれてきている背景」を知り、自分たちに今、何が問われているのかに向き合うことが大切なのではないかと思います。


すなわち、「ティール組織」は、『目指すべき姿』でもなければ、『答え』でもなく、現代が突きつけている『問い』として向き合ったほうがいいのではないかと思います。


蛇足ですが、私が思う「ティール」の限界は、『存在目的』を追求しようにも、勘定があわないくらいに、破壊的な状況にあり、あとは「明日、世界が滅ぶとしても私はリンゴの木を植える」という心境にたって、『今、ここ』にある内なる声に従って、個々人が動き創発し続けなければ通用しない環境になった時に、ティールの自律分散型運営は、的を外した自律的な動きが組織を内側から崩壊させるという限界が生まれるのではないかと思います。

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